2011年5月11日水曜日

「失われた20年」とは

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● 「世界経済のネタ帳」から



 考え方の基礎になっているのが3月10日付のサイト記事。
 この記事を書いた翌日に東日本大地震が起きている。


 「失われた20年」といわれている。
 1991年の名目GDPは「467兆円」、そして2010年のそれはほとんど変わらず「477兆円」。
 つまり「成長率:ゼロ」である。
 がである。
 つい最近、中国に抜かされるまで日本のGDPはアメリカに続く「世界2位」であった。
 それも四十数年間も。
 もちろん、失われた20年の間も。
 これちょっとオカシイと思いません。

 アメリカという超大国を除けば、40年以上にわたって、東方の小国がGDPのトップに君臨していたのである。
 ヨーロッパの先進国は今なを日本を抜いていない。
 人口10倍を超える中国がとてつもない急成長をとげ、やっと日本を抜いたという。
 なぜ、失われた20年の間にヨーロッパ先進国が日本を抜けなかったのか。
 「失われた20年」と標語するなら、その間に日本は惨めにもヨーロッパ先進国の後塵を拝してしまった、となるべきではないのか。
 それがない。
 これからもない。
 どうして?

 日本はこれから増えすぎた人口を減らしていく
 「生態的個体調整」期間
に入っていく。
 経済発展を目標とする社会的人為的人口膨張は、生物の生存論理に道を譲っていく。
 日本の適正人口(あるいは静止人口)は
 「8千万人---9千万人
だという。
 2045年ころには1億人を切るという。
 現在の人口は1憶2,700万人。
 つまり、あと30年少々で、5人のうち1人がいなくなる勘定になる。
 1/3世紀で「2,700万人」の人が消えるということになる。
 
 ところで、この失われた20年で生産環境はがらりと変わった。
 以前は4人かかるところが3人で造れるようになった。
 ということは、その分、人が余ってくる、ということになる。
 これからはもっと生産効率はあがるだろう。
 つまり生産を上げるということは、人手がいらなくなるということである。
 なら生産の総量をあげればいいということになる。
 日本はそのシステムをとっていない。
 生産環境は成熟している。
 日本は腹一杯詰め込んでいるのである。
 これ以上は入らないのである。
 日本の原油輸入量はオイルショック以降ほとんど変わっていない
 つまり、もうメシはいらない、ということである。
 
 日本の経済は成長の頂点まで登りつめているのである。
 「モノあまり」なのである。
 人が余っているし、モノも余っているのである。
 だからデフレなのである。
 日本の経済は、
 「成長から成熟へ
 「発展から安定へ
 「加速から走行へ
 「イニシャル型からランニング型へ
 「建設型から運用型へ
 「青年期から壮年期へ」
へと変貌している。
 これ以上のエネルギーの注ぎこみは不要なのである。
 不要というより「やってはいけないのである」
 これ以上やると、オーバーヒートを起こしてしまうことになる。

 停止している車を時速120kmまで上げるにはアクセルを踏み込んで、ガソリンをエンジンに送り込みエネルギーを消費させねばならない。
 が、120kmに達したらもうアクセルを踏み込んではならない。
 ペダルに足をそっとのせておくだけでいい。
 わずかなエネルギーで120kmは維持されるのだ。
 もしここで、アクセルを踏み込んだらどうなる。
 暴走してしまう。
 日本はその時点にある。
 日本は車でいうなら120km/hで走行中なのである。
 ときどき、アクセルを押すだけで、安定した走りがなされる状態にあるのである。
 
 これからは、人を減らし、エネルギー消費を抑え、
 経済成長などという亡国論理
は控えめにして、
 適正人口時のモデル社会
を俯瞰して、それに見合う社会環境を創造していくことが、求められているのである。
 と言っても過去の近代経済学のベースになっている唯物的経済学しか習っていない連中にはムリだろうが。
 経済成長こそ、善であり、美であるとしか教えられていない
のだから。
 そういう連中が世の中を動かしているのである。
 でも
 「日本人という生物個体
は生態アンテナに反応するものを「善」として我が行く道を進んでいるのではないだろうか。
 それが、
 経済成長不要論
であり、少子化肯定論
のベースになっているのではないだろうか。

 分かっていることはタダ一つ。
 2050年には日本の人口は1憶人を切り「9千万人台」になっているということ。
 なぜそうなるのか。
 それを考えてみれば、おのずと分かってくることである。
 とすれば、これから考えるべきことも分かってくるはずである。


 世界が必要としている経済学は「成長するための経済学」。
 日本で必要なのは「成長した後の経済学」。
 この経済学はまだ、出てきていない。
 日本の経済社会情勢の方が先行している。
 日本とは「世界ではじめて成長したあとの経済状態に達した国」なのである。
 ところがこれを見る視点はすべて「成長するための経済学」のもの。
 よって、言っていることがすべてトンチンカン。
 経済学者のいうことは、
 ほとんど全く当たらない
というとんでもない状態。
 これからの日本、どうなっていくのだろうか。
 経済学者のいうことがデタラメということは、先の見通しが立たないということでもある。

 ろくすっぽ将来のことが見通せない経済学者などいらないが。
 



== 東日本大震災 == 



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