2011年5月8日日曜日

原発反対お祭りデモ:若者化現象

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● 原発反対を訴えて渋谷駅前をデモ行進する参加者=東京都渋谷区で2011年5月7日、須賀川理撮影



毎日.jp 2011年5月8日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110508ddm012040055000c.html

東日本大震災:福島第1原発事故 原発やめろ 東京・渋谷でデモ

 「脱原発の一点でつながろう」と市民有志による「原発やめろデモ!」が7日、東京・渋谷や原宿周辺で行われ、約1万5000人(主催者側発表)が参加した。

 東京電力福島第1原発の事故を受け、杉並区高円寺北のリサイクルショップの経営者やミュージシャンらが企画した。
 先月10日の高円寺でのデモに次ぐ第2弾。
 参加者は「バイバイ原発」「エネルギー政策の転換を」などと書かれた手作りのプラカードを掲げた。

 川崎市から来た妊娠7カ月の大富香織さん(37)は「(静岡県御前崎市の)浜岡原発の停止が実現しそうなのでほっとしている。生活を見直し、子どもが安全に暮らせる社会を築きたい」と話した。




OPTV
http://www.youtube.com/watch?v=w7239GtKpdY&feature=player_embedded








朝鮮日報  2011/05/10 09:54:01
http://www.chosunonline.com/news/20110510000027

日本各地で反原発を訴えるデモ相次ぐ
主要都市で異例の大規模デモ

 日本人がついに行動を起こした。
 東京都民1万5000人以上(警察庁推計で4000人)が7日、渋谷や原宿などに集結し「原発は必要ない」「きれいな空気と土地を返せ」などと叫びながら、原発反対を訴えるデモ行進を行った。
 参加者らは中心メンバーが先導するトラックの後に付いて、渋谷や表参道など、都内の中心部を行進した。
 音楽バンドが大型のスピーカーで原発反対を叫びながら歌を歌い、参加者らが太鼓を鳴らしながらこれに応えるという、非常に騒がしいデモだった。
 他人に迷惑をかけないマナーを重視する日本で、スピーカーまで用いて大規模なデモを行うのは非常に珍しいことだ。

 原発に反対するデモ行進は、翌8日にも京都、大阪、神戸、名古屋、千葉など主要都市で行われた。

 3月の東日本大震災発生直後、日本人は被災地で支援物資の到着が遅れることがあっても、秩序を保ちながら忍耐強い姿勢を貫いてきた。
 ところが、原発に対しては、全く異なった態度を示している。
 また、福島第1原発事故直後は数百人だった原発反対デモ参加者の数も、最近では30倍以上に膨らみ、原発廃止に対する日本人の関心が高まっている。

 反原発デモの呼び掛けは、まず各地域の市民団体がインターネットやツイッターなどを通じて集合場所や日時を知らせ、市民がこれに応じて集まるという形で行われている。
 渋谷で行われたデモは「高円寺市民グループ」が中心となって行われたもので、この団体は先月10日にもデモを行っている。
 まず、インターネット上に日本語、英語、韓国語、中国語の4カ国語で
 「高円寺でのデモから1カ月、そして大地震から2カ月が過ぎたが、今も福島第1原発では進展が見られない」
 「もう一度大がかりなデモを行い、原発は必要ないことを叫ぼう」
 「5月7日は渋谷に繰り出そう」
などと訴えた。

 日本のメディアも、この大規模なデモに驚いている。
 中日新聞は9日付けで、日本人による反原発デモを中東の民主化を求めるデモと比較しながら
 「チュニジア大統領を退陣に追い込んだジャスミン革命のときと同じように、中東の民主化革命はフェースブックなどのソーシャルメディアを利用して短期間に数万人のデモ参加者を集めることができた」
と報じた。


 日本が豊かになったことを実感する。
 デモもお祭り化している。
 昔は生活のギリギリ線でデモっていた。
 でも、昨今はゆとりの中で、自分のできることを探し求めてのデモのようだ。
 もしかしたら若者たちの「自分探し」なのかもしれない。
 しかし、それはそれで大いに結構。

 日本の今は、老人我欲に連なる老人パワーに占拠されている。
 若者の出る幕はなくなっている。
 豊かな日本では
 労働力たる若者がいなくても充分に豊か
にやっていけるようになっている。
 はっきり言えば、労働力としての若者はいらないのだ、ジャマなのだ
 いなくてもいいのだ。
 それでもやっていけるのだ。
 今の日本に若者の場所はない。
 しかたがない、ニートになろうか、オタクになろうか。
 若者がやっと見つけた希望。
 もしかしたら、この津波災害で自分の居場所が見つけられるかもしれない。
 自分探しが終わるかもしれない、そんな期待があるのだ。

 将来の日本は労働力が不足する、なんていうのはウソのウソッパチ。
 将来にわたって、若者の居場所はない。
 それが、明日の日本。
 そのためデモは限りなく若者化していく。
 そしてお祭り化して、面白くなっていく。

 今回はその向こうに脱原発がある。
 大いに盛り上げてもらいたい。
 日本列島と日本民族のために。



WIRED VISION 2011年04月25日12時02分
http://news.livedoor.com/article/detail/5514518/

日本の震災が「引きこもり」に与える影響

 日本で増えつつある「引きこもり」として知られる現象が、今年3月に同国で起こった地震や津波の影響で、特に問題になる可能性がある。

 何ヵ月も、時には何年も家にこもるという極度の孤立が、1990年代の初めに日本の若者の間で登場した。
 現象の広がりを確かめる試みが行なわれ、日本の「引きこもり」は100万人強と推定されたが、一部の研究者の間では、実際の数はもっと多いのではないかと考えられている。

 引きこもりについて英語で書かれた新聞や雑誌の記事は、1990年代初めから数えて200本を超えるが、英語の科学論文は10本ほどしかない。
 しかし、日本の患者や精神科医、研究者にインタビューを行なった私は、研究の発表は少ない状態であっても、引きこもりはこの5年間に急増し、さらに広範囲の問題になっていると感じている。

 そして、今年3月に日本で起こった地震、津波、余震によって、引きこもりとはこれまでわかっていなかった人々が、初めて助けを求め始め、表面化してくる可能性がある。

 引きこもりは多くの場合、不安とうつの症状、そして異常な睡眠パターンを伴う。
 公的な定義では自宅に完全にこもるとされているが、私が日本で出会った精神科医や研究者の多くは、完全な孤立から、毎日外出するが友人がおらず仕事がない状態まで幅があるとする、仮の定義を使っている。
 患者は昼間には寝て、夜にはテレビを見たりパソコンゲームをしたり、マンガを読んだりする傾向が強い。
 しばしば、食事は自分の部屋でひとりで食べ、インターネットのチャットを大量にし行なうが、現実でのコミュニケーションはほとんど持たない。

 こうした人々が自殺をしたり殺人を行なうケースは、あまり無いが、時には報道される。
 私の経験では、引きこもりは他の選択肢が無くなったときにのみ、医療機関に救いを求めてくる。
 例えば、親が亡くなったとか、住んでいた家が売られてしまったとか、お金が無くなったとかだ。

 今回の大震災で、今までは表に出ていなかった大量の引きこもりたちが、初めて助けを求めて表に出てくる可能性がある。

 引きこもりは原因が明らかになっていないが、そのきっかけとしては、いじめ、テストの失敗、就職の失敗といった出来事が数多く報告されている。
 日本の今回の震災は、最愛の人の死、丸ごと失われた町、続く余震、そして放射能関連の問題など、さまざまな理由による精神的なトラウマ(心的外傷)を生み出していく。
 加えて不況によって、若者が得られる仕事を見つけられる可能性はいっそう損なわれる。
 こうしたことによって、今まではなんとか金銭的に生活維持ができていた引きこもりたちが、新しい状況に追いやられる可能性があるのだ。

 日本で引きこもりが増加している原因は明らかではないが、いくつかの理由は考えられるかもしれない。
 たとえば日本では、精神の病を恥と考える傾向がまだ強く残っている。
 これが、病気になった人が助けを求めずに閉じこもる原因になっているのではないだろうか。
 また、日本の文化では、精神疾患の大半について休息が適切な治療だと考えられている。
 私は日本で、注意欠陥多動性障害 (ADHD)やうつの人に数多く会ったのだが、彼らは医者に診てもらう前に、家で数週間休みを取ろうとしていた。
 さらに、引きこもりは、速さや効率、時間の正確さなどにこだわる日本文化への反応ではないかという意見もある。
 また、伝統的な終身雇用制が終わり、正社員としての職を得られない若者が増えてきていると同時に、親が持つ価値観との軋轢に悩むケースも多い。

 日本は、今回の地震が起こる前から、世界でも自殺率の高い国のひとつだった。
 そうした国における、人々の心理的健康を改善させるための努力において、引きこもりは重要な要素として考えられるべきだろう。
 心理療法的なサービスもよりいっそう必要になってくると考えられる。

筆者のPaul Ballas氏は、フィラデルフィア地域で児童向けの精神医療サービスを行なうと同時に、ビデオゲームを使った社会・健康・教育プログラムも展開している。野口医学研究所とトーマス・ジェファーソン大学病院を通して日本でのフェローシップ機会を得て、大阪市の医療システムにおいて調査を行なった経験がある。

[日本語版:ガリレオ-緒方 亮/合原弘子]

WIRED NEWS 原文(English)




NHKニュース 2011年 5月8日 17時57分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110508/t10015756101000.html

名古屋 浜岡原発停止求めデモ

 菅総理大臣が中部電力浜岡原子力発電所の運転停止を要請したことを巡り、名古屋市では、主催者の発表でおよそ1000人がデモ行進し、中部電力に対し、要請の受け入れや自然エネルギーへの転換を求めました。

 デモ行進は、脱原発を訴えている団体が母の日に合わせて行ったもので、主催者によりますと、インターネットによる呼びかけに応じた家族連れや学生など、およそ1000人が参加したということです。
 参加者は、名古屋市東区の中部電力本店前などを行進し、
 「中部電力から脱原発を始めよう」
などと声を上げ、浜岡原発の運転停止の要請を受け入れることや、自然エネルギーへの転換を図り、将来的に原発を廃止することを求めました。
 子ども連れの女性は
 「福島第一原発の事故を見て原子力の怖さを知った。
 浜岡原発の運転停止に伴う電力不足による不便は、できるかぎりの節電をして受け入れていくべきだ」
と話していました。
 また、インターネットを見て初めてデモに参加したという大学生は
 「浜岡原発の運転停止の要請には賛成だが、電力不足で困る企業や利用者がいるのも確かだと思う。
 原発反対を訴える以上、無責任と言われないよう、しっかりと考えていきたい」
と話していました。


 時の首相が要請した以上、脇道はない。
 遅れれば遅れるほど「東電タタキ」と並んで「中電タタキ」が強くなっていく。
 マスコミは「弱い物イジメが大好き」なのだ
 「菅タタキ」、それから「東電タタキ」。
 菅さんなんて自民党のツケの尻拭いをさせられているだけ。
 そのうえ叩かれている。
 この人は何も悪くないのだが、諸悪の根源のごとく叩かれている。
 運のいい悪いというのは必ずある。
 この人、首相になった運はよかったが、叩かれるということは、
 運が悪かった

ともいえる。
 通常なら、この災害の原因を作った自民党が叩かれるべきなのだが、マスコミはそれをやらない。
 あえて避けて通っているという報道姿勢がみえる。
 そう考えると何かおかしい。
 長年の腐れ縁でマスコミにも裏金が廻っていると見たほうが妥当なのかもしれない。
 もともと、
 マスコミというのは権力とお金にシッポをふる
性格を体質的にもっているものではあるが。
 表面的には中立で正義の味方のような顔をしているが、何か危機が発生すると身の保身のためにスケープゴートを見つけて、己のヤバサを隠すように動く。
 まあ、しかたがないことだが。

 がしかし、今回の件でいちばん徳をしたのは民主党だろう。
 日本の危機に出会い、それをまがりなりにも克服しようと燃えている。
 振り返れば民主党というのは行政キャリアのまったくない集団である
 それが日本国の歴史にとって未曽有の出来事というべき事態に直面させられてしまった。
 歴史の皮肉というべきか。
 経験不足といわれながらも、一歩一歩と足を進めている。
 このキャリアは絶対的に大きい
 バカでもチョンでも、経験をつむということは圧倒的に強くなり、有利になり、そして自信がつく。
 崖っぷち際で、死に物狂いで民主党はやっている
 これは民主党にとって、すこぶるの勉強になる。
 これをしのげば、もはや民主党にコワイものはなくなる。
 我欲老人の「口数の多いピエロ」とは一味違ってくる。
 
 対する自民党はどうか。
 この事態の元凶を作ったのは自民党。
 ために表に出るわけにいかなくなってしまった。
 肝心の危機処理の経験というものを、学ぶことができなくなってしまった。
 もはや、
 死地を経験してコワイ物知らずになった民主党
とは太刀打ちできる集団ではなくなっている。
 政治が国会内の「ママゴト遊び」ではなくなっているということである。

 ところでのろのろしていると、次のタタキのターゲットは中部電力になりそうだが。
 中部電力への不信感に火がつき、それが蔓延してくる。
 そうすると、これまで話題にのらなかったところまでほじくり返される。
 ゴネようと思っているのだったらやめたほうがいい。
 今は非常時だ。
 それより、あっさり受け入れて後ろから手を回して、有利な条件を引き出すのが駆け引きというものだろう。




== 東日本大震災 == 



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