2011年9月16日金曜日

特:謝謝台湾!がんばろう日本! 相馬魂-Ⅱ

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● 謝謝台湾!がんばろう日本! タウンニュースより




日台黒潮泳断チャレンジ2011
http://strongheart.jp/nittai-sc/outline



プロジェクトの趣旨

今回の東日本大震災における台湾からの義援金は200億円を超えています。
その金額の9割は民間の人びとからの寄付金だと聞いています。
私たちは台湾の人びとの温かい気持ちに謝意を示すべく、チャレンジプロジェクトを企画しました。
このプロジェクトは、日本の勇気ある若者達が世界3大潮流のひとつである黒潮を乗り越え、台湾へ渡る前人未踏のチャレンジです。
スイマーは、今回の震災で被災した東北地方からのお礼のメッセージを携え台湾を目指します。
また、台湾側からも泳いでもらい両国のスイマーが洋上で握手をすることにより、日本側からの謝意を示すだけでなく、両国の友好を深め、精神的そして地理的にも近い日台の絆をアピールします。
併せて姉妹関係を持つ台湾東海岸と日本の八重山地方の観光振興にも役立てたいと考えています。

開催地
沖縄県与那国島から台湾・蘇澳(すおう)
実施期間
2011年9月16日(金)~19日(月)
プロジェクト内容
台湾への感謝のメッセージを携え与那国島から5~10名のスイマーがリレーで台湾・蘇澳まで泳破する

実施日
2011年9月17日・18日・19日
(前夜祭を9月16日、記念イベントを9月19日に実施)
予備日程
2011年10月22日・23日




[2011/9/13 提供:RBAタイムズWeb版]
http://sumai.nikkei.co.jp/edit/rba/etc/detail/MMSUa8000015092011/

謝謝台湾!「日台黒潮泳断チャレンジ2011」実行委員会が会見



東日本大震災での台湾からの200億円を超える多額の義援金に謝意を示すために、震災で被災した東北地方からのメッセージを携え、沖縄県与那国島から台湾・蘇澳(すおう)まで約150キロを6名のスイマーが遠泳で渡るという前人未到のチャレンジを行う「日台黒潮泳断チャレンジ 2011」実行委員会の記者会見が9月13日、後援に名を連ねる「台北駐日経済文化代表処」で行われ、実行委員長の松本彧彦氏と5人の泳者(1人は欠席)がチャレンジを行う経緯や意気込みなどを語った。

最初に挨拶した松本氏は、
「3月18日、青年が私のところにやってきて、台湾の支援に感謝する意を表するために台湾まで泳ぎたいと真顔で言った。
『本当かよ』と思ったが、熱い思いを聞くうちにやろうということになった。
その青年が今日紹介するパナソニックに勤務するリーダーの鈴木くんです」
と語り、その後、3度の現地調査、台湾当局などとの折衝、船のチャーター、仲間集めなど経緯を紹介。

「スポンサーがつかずお金の工面も大変だが、何とかもう少しで目標額に達する。
東北三県の知事のメッセージも頂いたし、被災地出身の泳者も最後に決まった。
台湾は大変な盛り上がりを見せている。
黒潮を渡るなど過去にないチャレンジだが、勇気あることを示し、元気がないといわれる若者に刺激を与えたい」
と話した。
「台風が発生しそうな気配だけが心配」と語り、その場合は日程を変更することも考えているとした。
以下、泳者のメッセージ(発言順)。

鈴木一也氏:
20歳代までは勝つことばかり考えてきたが、30歳になってスポーツを通じて何を次代に残すかがキーワードになった。
子どもたちにあきらめないこと、勇気を持つこと、挑戦することの大切さを伝えたいと思っている。
今回は、どこよりも早かった台湾の義援金に衝撃を受け、水泳という手法で両国の国際交流にも貢献したい。
鈴木氏は1979年生まれ。明大卒。
大学までは全国トップレベルの成績を残しており、現在は湘南を代表するオーシャンアスリート。

鈴木敦士氏 :
南相馬には祖母が住んでいる
スポーツを通じて社会貢献したいし、日本を元気にしたい。
鈴木氏は1980年生まれ。
かつては全国トップレベルのスイマー。
東京消防庁に勤務しており、全国消防救助技術大会で3連覇を達成。

石井健太氏:
昨年、52キロを15時間で泳いだ。
2年先輩の鈴木さんから声を掛けられ参加を決意した。
サラリーマンとしても、こうした生き方があることを示したい。
石井氏は1981年生まれ。福岡県出身。
かつては全国トップレベルのスイマー。
今年の「佐渡国際トライアスロン大会」のスイムの部門で断然トップの成績を残した。

清水雅也氏:
国境を越えて、泳ぐことのすばらしさを伝えたい。
清水氏は現在、拓大に在学中。
ライフセービングの世界大会にも出場。 日本チームのエース。

山田浩平氏:
このチャレンジのことは小学生時代の先生から聞いた。
子どもに希望を与え、台湾には感謝の気持ちを伝えたい。
山田氏は福島県相馬市出身。
現在は中大水泳部に所属。




◇     ◆     ◇

6人の泳者のうち山本晴基氏は所用で欠席。
6人はそれぞれ30分交代で45時間かけて目的地に着く予定だ。
鈴木リーダーは
「夜間は、光を照らすとダツという刺されると死傷することもある魚に襲われる危険性があるので、真っ暗な中で泳ぐ。
2時間半後にそれぞれ自分が泳ぐことになるが、食事も仮眠もきちんととり万全の態勢で望む」
と話した。

チャレンジのスタートは9月17日(土)午前5:00で、ゴールは19日(月)午前10:00の予定。
実行委員会はホームページで極力、泳者の状況を伝えるという。



日経新聞 2011/9/9 7:00

なぜ台湾まで泳ぐのか 日台泳断150キロに挑む若者たち

東日本大震災後、世界中から日本に多大な支援が寄せられた。
それに対し、サッカーのなでしこジャパンがワールドカップ会場で「ありがとう」のボードを掲げるなど、日本人は様々の形で謝意を示している。
9月中旬に20~30歳代のスイマー6人によって行われる「日台黒潮泳断チャレンジ」は、被災県知事の感謝メッセージをわざわざ海を泳いで渡しに行く計画だ。
沖縄県与那国島から、200億円超の義援金を送ってくれた台湾まで、なぜ泳ぐのか?

■海に魅せられて

この挑戦の発起人である鈴木一也さんを見るたび、登山家、ジョージ・マロリーの言葉を思い出す。
「(登るのは)そこに山があるからだ」。
鈴木さんの場合、山ではなく海なのだけれど……。

「水の中が好き。静かな水中で耳を澄ますと落ち着く。それが海だとさらに落ち着く」
と話す鈴木さんは大手家電メーカー社員。
神奈川県茅ケ崎市、海まで5分のところに住む。

大学までは競泳選手だったが、卒業後はライフセービングの世界に移った。
しかし、全日本選手権を連覇すると、疑問が生じた。
「人と順位を競うのは何かが違う」

その後、鈴木さんが格闘相手に選んだのは海そのもの。
海は予測不能で、体全体のセンサーを働かせ、万全を期しても簡単にはいかない。
自然ほど、謙虚に敬服の念を抱かせる相手はいない。

2009年、伊豆大島から茅ケ崎まで約70キロを約22時間かけて泳いだ。
夜の海、ライトを照らせば夜行性の海洋生物が寄ってくる。サメも怖いが、ヤリのような口を持つ魚のダツの方が怖い。
潮流を読み間違うと、進もうとしてもなかなか進まない。

見慣れた茅ケ崎の海岸を目前にして、何時間も停留した。
「諦めたくないが、それにしても進まないなあ」。
こういう苦しい状況の中、次への挑戦を思いついたという。

「海は島と島、陸をつないでいる。次は国境を泳いで越えてみたい」

日本最西端、与那国島から台湾まで直線距離で約110キロ。
黒潮が南から北に流れているため、西進しようとすると北に流されるから、一度、南下してから西進するので約150キロが今回の泳断ルートだ。

鈴木さんと、カヌーでサポートする会社員の田口誠さんが現地で何度か試泳したところ、時速3~4キロで泳げることは分かったが、
「潮の流れが速いので全力で泳がないとダメ」
と田口さん。
1人で泳がずに、30分くらいずつ交代で泳ぐことにした。

■2日間かけて150キロを泳ぐ

泳者は鈴木さんほか、消防士、ライフセーバー、自衛隊員、マスターズ水泳などで鳴らした会社員、被災地である福島県相馬市出身の中大水泳部員の計6人。
ほかにも参加希望者はいたが、
「海で20キロを5時間以内で泳げる」
という条件を満たせず断念した人、日程が合わず諦めた人もいるという。

搬送船には与那国島の“海男”真謝喜八郎さんが乗り込み、シャークシールド(サメよけの電流が流れるシート)をつけたカヌーが泳者に寄り添う。
17日朝7時に出発して、19日朝8時に台湾・蘇澳に着く計画だ。

「最初に黒潮の支流約10キロをおよそ3~4時間かけて泳ぐが、そこを抜ければ大丈夫だと思う。
東からの風が吹くと最高。
でも西風が時速9~10メートル以上になったら危険なので中止する」
と田口さん。

ちなみに大島~茅ケ崎間の泳断は09年から3度挑戦して成功は最初の1度だけ。
昨年は台風が直撃、今年の大波は泳ぎやすい環境だったが、伴走の小船が往生し、途中で断念した。

台湾まで泳いで謝意を伝えに行く――。
ワクワクするような冒険だが、突然、見も知らぬ孫のような年齢の青年が電話してきて協力を依頼してきたらどう思うだろう。
戸惑う人の方が多いのではないか。だが、松本●(或のノが3本)彦さんは胸が熱くなったという。

■挑戦を支えるサポーター

元代議士秘書の松本さんは古くから台湾を幾度も訪ね、深い人脈を持つ。
鈴木さんの熱弁に、「今どき、こんな若者いない」と思った。

自らチャレンジの実行委員長に就任。
国内の渡航体制だけでなく、台湾外交部、駐日代表処(領事館に相当)、蘇澳の市長らと交渉し、現地の受け入れ体制を整える陣頭指揮をとった。

そうした働きかけもあり、台湾側も海巡署から戒護船が出るほか、海岸近くからは台湾スイマーも泳いで出迎えて歓迎してくれるという。

クルー、実行委員会……この挑戦を支えるサポーターが次々に集まっている。
勢いは止まらず、王貞治氏、AKB48のメンバーらも応援メッセージを寄せている。
壮行会、前夜祭などのイベントも計画され、「なんだかどんどん大きくなっている」と田口さん。

「海を泳ぐことで、何かメッセージを伝えられるのだろうか?
泳いでいて苦しいときはあるだろ。
そんなとき何を考えてる?」
応援メッセージを寄せる際、元ソフトボール日本代表監督の宇津木妙子さんは鈴木さんに尋ねた。
宇津木さんのぶっきらぼうな口調は、親近感の表れでもある。
しばしの沈黙後、
「何でこんなことしてるんだろう、って」
と鈴木さん。
「その通りさ」と宇津木さん。
この挑戦は仕事でもなければ、何かがかかった試合でもない。

■泳ぐ意味は?

「座禅を組むような、無の境地になれるといいです」
という鈴木さんに、
「そんな簡単になれないよ」
と宇津木さんは苦笑した。
「(折れそうな)自分と戦うだろ。そこを見せてほしい。
生きることは自分と向き合うことだから」

厳しい練習で選手をギリギリまで追い込む。
妥協するか否かは自分次第。そこから生まれる強さを、宇津木さんは知っている。
「地震は自然災害だ。
海は自然だろ」。
そこと格闘するから、見せられるものがあるかもしれない。

出発まで8日、
「泳いで国境を越えたいな」という純粋な思いから始まった日台泳断は、いろいろな勇気も求められる挑戦でもある。
進むか引くかの決断を下す勇気、様々な責任を負う勇気……、
「生半可なじゃできないよ。仲間もみんな真剣勝負だな」
という宇津木さんの目を直視して、鈴木さんたちは「はい」と力強く答えた。





明日朝スタートする。
順調にいけば明々後日の朝には台湾に着くことになる。
ぜひとも成功してほしいものである。
いや、成功しなくてもいい。
なにしろ台風が来ており荒れている。
そのときはまた別の形での「謝謝台湾!」をパフォーマンスしてもらえればいいと思う。

video
● TBSニュース 9月16日



レコードチャイナ 2011-06-16 20:12:02 配信

<中国人が見た日本>日本への義援金、なぜ台湾が世界で最も多かったのか?

2011年6月16日、中国のジャーナリスト、王錦思(ワン・ジンスー)氏はブログに
「台湾はなぜ日本の震災への義援金が世界一多かったのか?」
と題した記事を掲載した。
以下はその内容。

未曽有の大震災に見舞われた日本に、中国を始めとする国際社会が次々と支援の手を差し伸べ、気前よく懐のカネを出した。
だが、多くの中国人にとって想定外だったのは、台湾からの義援金が140億円にも達し、世界で最も多かったことだ。
5月初め、筆者は東京で台湾の友人数人と会い、この件について聞いてみた。
彼らは率直に
「中国本土の文化と比べ、台湾は日本文化に近いからだ」
と答えた。
すべては心からの行動なのだという。

なぜそこまで日本に対する気持ちが強いのか?
それは、李登輝元総統など日本植民地時代の教育を受けたお年寄りがまだ多数活躍していること。
それから、馬英九総統は日本が植民地時代に台湾農工業に与えた「功績」を認めているが、これは多くの台湾市民の心の声を代弁しているという。
これに対し、植民地支配が与えた苦痛は気にしていないようだ。
多くの台湾市民は中国ではなく日本こそが東方文明国家の手本だと考えているらしい。

台湾の人々は日本が大好きだ。
行きたい国のトップももちろん日本。
綺麗でオシャレだというのが1番の理由という。
これを聞いた中国人は「自分の祖先を忘れたのか!」と罵るだろう。
だが、台湾の民衆も本土の人々は「理不尽で横暴」だと思っている。
良いと思うものはほとんどなく、流行に取り入れたいと思える文化もない。

要するに日本のことが心から好きだという気持ちが、募金額に現れたのだろう。
中国本土では歴史的なわだかまりから、台湾のような大々的な募金活動は行われなかった。
だが、中国人がどんなに日本を恨み、震災で被った損害をどんなに喜んでも、台湾の人々の日本に対する思いは抑えられない。

いつまでも台湾の人々を「祖先を忘れた」「敵と味方を取り違えた」と罵っているだけでは何も変わらない。
それよりも、自分たちの社会を少しでも台湾の人々に好きになってもらえるよう努力する方が先ではないだろうか。(翻訳・編集/NN)

●王錦思(ワン・ジンスー)
吉林省出身、北京在住のジャーナリスト。北京大学でメディア学を専攻。日中歴史問題や抗日戦争史を研究課題としている。著書に「日本行、中国更行」。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。





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日台黒潮泳断チャレンジ 2011
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2011/09/17 09:20 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011091701000137.html

被災地支援に感謝、水泳で台湾へ 男性6人が与那国島を出発


● 出発前に地元の子どもらと記念写真に納まる、台湾に向けて泳ぐ男性たち=17日朝、沖縄県・与那国島

東日本大震災の被災地に義援金を贈るなど支援してくれた台湾の人々に感謝の気持ちを伝えようと、東北3県の知事のメッセージを携えた21~31歳の男性6人が17日朝、水泳で台湾に向けて日本最西端の沖縄県・与那国島を出発した。

台湾の蘇澳までの約110キロを約30分ずつ交代で泳ぐ予定で、医師ら約10人のスタッフが乗った船が伴走した。
台風15号の影響で海が荒れる可能性もあるが、19日朝の到着を目指す。
台湾側から泳いできた約100人が洋上で出迎え、上陸後に歓迎式も開かれる。

ライフセービングの日本選手権で優勝したことがある鈴木一也さん(31)が発起人。


出発したんですね。
天気はどうだろう。
いまのところ平穏のようですね。

18日の朝のtwitterの最新書き込みを2本。
13時間経過で40km通過!
今晩中に半分には到達しそうです。
海は既に真っ暗です。

11時間半35km想定のコースより直線で来ているので、実質の1/4くらいです。
今からご飯です。
船酔いも徐々に回復してきているそうです。
先ほど、フジテレビのニュースでもやっていましたね。

19日の朝のtwitterの最新書き込みを調べてみた。
上記の18日分以降は更新されていない。
何かあったのか。
予定なら、数時間後に台湾に泳ぎ着くはずなのだが。

午後のtwitterに無事台湾についたの報が載っていた。
よかった、おめでとう。


nittaisc profile
nittaisc ご心配おかけして申し訳ございません。途中電波状況が悪化し更新をできなくなっていました。先ほど、全員無事に台湾に到着しました!今もネット環境が安定しないため、後日改めて詳細を報告させていただきます。心配してくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました!!
 ご心配おかけして申し訳ございません。
途中電波状況が悪化し更新をできなくなっていました。
先ほど、全員無事に台湾に到着しました!
今もネット環境が安定しないため、後日改めて詳細を報告させていただきます。
心配してくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました!!




2011/09/19 12:28 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011091901000254.html

110キロ泳ぎ、台湾に到着 青年6人、震災支援に感謝


● 19日、約110キロを泳ぎ切り、台湾北東部・宜蘭県蘇澳の海岸に到着した鈴木一也さん(前列右から3人目)ら日本人青年6人。
いずれも青い水泳帽(共同)


【蘇澳共同】大震災後、多額の義援金などで支援してくれた台湾の人々への感謝を伝えようと、東北の被災3県知事のメッセージを携え、17日に日本最西端の沖縄県・与那国島を出発した青年6人が19日、約110キロを泳ぎ切り、台湾北東部・宜蘭県蘇澳の海岸に到着した。
台湾側からも100人以上が沖合まで泳いで出迎え、上陸後に宜蘭県政府が歓迎式を開催。

日本側の6人は出発後、約30分ずつ交代で泳ぎ、医師らが乗った船が伴走して、流れの速い黒潮を横断、約50時間かけて到着した。

発起人はライフセービング日本選手権で優勝経験がある神奈川茅ケ崎市の会社員、鈴木一也さん(31)。




毎日.jp 毎日新聞 2011年9月20日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110920ddm041040047000c.html

東日本大震災:「謝謝」伝えに遠泳 6人リレー形式、沖縄・与那国島→台湾110キロ

【蘇澳(台湾東部・宜蘭県)大谷麻由美】東日本大震災の被災地に義援金約200億円を寄せてくれた台湾の人々に日本から泳いで感謝を伝えたい--。
17日早朝、日本最西端の沖縄県・与那国島から泳ぎ始めた日本の男性スイマー6人が19日午前10時(日本時間午前11時)、直線距離約110キロ西の台湾東部・宜蘭県蘇澳港までリレー形式で泳ぎ切った。
発起人の神奈川県茅ケ崎市の会社員、鈴木一也さん(31)は砂浜に上がると「謝謝(ありがとう)台湾」と叫んだ。

元競泳選手で、ライフセービング日本選手権の優勝経験もある鈴木さんは、震災直後にいち早く届けられた台湾からの支援に感激し、思い立った。21~31歳の6人が結集した。

スイマーが持っていたバトンの中には、岩手、宮城、福島3県の知事から台湾の人々にあてたメッセージが入れられ、無事届けられた。

参加した福島県相馬市出身の山田浩平さん(21)=中央大水泳部=は「津波に遭って海を怖がる子供が多いが、海の楽しさを思い出してほしい」と訴えた。







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2011年9月11日日曜日

特:大震災から半年:悲劇のフクシマ  相馬魂

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● そうま魂


 今日はあの3月11の東日本大震災から6ケ月目になる。
 復興も徐々に進んでいる。
 こういう復興は時間のかかるものだ。
 政治的に今日明日ですむものではない。
 なにしろ、とんでもないスケールの災害。
 なんとか先が見えるなるのに数年、大概のところは終わったと言えるまでに10年はかかるだろう。
 また、東京大地震の予測が後ろに控えている。
 東日本はあるかない不明の大地震だった。
 それが起こった。
 これに対して東京大地震は確率約9割で起こると言われているもの。
 まず、起こるだろう。
 そして、東京の大半は水没するだろうといわれている。

 日本列島の地面はまだ揺れている。
 この島々に住む人々は、
 技術で自然を克服し経済成長を、などと安易に願うべきではない。
 自然と共生し、先人が努力して獲得した豊かな生活を守り為していくこと、
 自然に折り合いをつけて共にやっていくこと、
それが大切なことだと思う。
 自然を制御できるなどというのは、人間の思い上がり以外のなにものでもない。

 現時点で死者・行方不明数は約2万人。
 両親をあるいは片親を失った子どもも大勢いる。
 彼らに対して色々な人がいろいろな組織が援助の手を差し伸べている。
 「東日本大震災孤児支援」というキーワードで検索してみた。
 広く知られているのが「あしなが育英会」。
 また安藤忠雄氏をはじめとするメンバーが立ち上げた「桃栗育英基金」などもある。

 地方自治体では、福島県、宮城県、岩手県の地震被害地に当たる機関が基金を設立している。
①.福島県:東日本大震災ふくしまこども寄附金
②.宮城県:東日本大震災みやぎこども育英募金
③.岩手県:いわて学びの希望基金

 驚くべきことにこの中に混じって、唯一、
 市レベルで孤児支援基金を立ち上げ

ているところがある。
 福島県相馬市がそれである。
④.福島県相馬市:相馬市震災孤児等支援金支給基金

 ちっぽけな3万人市政であり、その数は3万7千人ほど。
 それが、県の向こうを張って堂々と孤児基金を立ち上げている。
 壮大な構想である。
 気概がすごい。


相馬市公式ページ メールマガジンNo.251(2011年4月24日号)
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/melma/20110424_melma.html

震災孤児等支援金支給条例

 被災から40日たって巨大津波の相馬市の被害の全容が明らかになってきた。
 まず、床上浸水以上、つまり津波による流水の前に住人が生命の危機に曝された家屋が1512世帯、住民基本台帳での人口は、前回から修正して5249人だった。
 その中で、今日の段階で死者および行方不明者の合計は475人。
 津波襲来の時にこのうちの何人が被災地にいたのかは不明だが、現段階で死亡者の数が一割を切っていることには、驚きと感謝の気持ちを禁じえない。
 原型をとどめた家屋がほとんどない程の大津波から、9割の住民を避難させたのは地元の消防団員たちだった。
 しかし、その犠牲者数は前回のメルマガ時から3人増えて10人となった。

 磯部地区の方々が集団で避難生活をしている「はまなす館」で、殉職された消防団員のお母上とお会いして首を垂れた。
 息子を亡くした心中を察するに、私は何と申し上げたら良いか?お詫びしたい自分の気持ちをどのようにお伝えすべきか?迷いながら視線を上げた私の前で、背筋を凛と伸ばした彼女は気丈だった。
 「止めたのに、仕事だからと言って避難誘導に向かった。
 やさしくて良い息子だった。
 残した子どもたちのためにも私はしっかり生きなくてはならない」

 殉職した消防団員10人の子供の数は11名、うち18歳未満は9名である。
 社会人として自立する前の子供たちを残して、死んでいった彼らの気持ちを思うと胸が苦しくなる。
 さぞや無念、心残りだったろう。
 多くの市民を助けた代償としても、余りにも重く、辛い。
 相馬市が続く限り、市民は彼らを忘れてはならない。
 我われ残された者たちが、父親の無念の代わりを果たすことなど、とても出来ないことだが、万分の一でもの償いと思い、生活支援金条例を作ることとした。
 遺児たちが18歳になるまで月々3万円を支給するものである。
 全くの孤児となった、あるいは片親だけを合わせ、今回の災害で親を亡くした18歳未満孤児または遺児は、全部で44人にのぼる。
 この子らが成長するまでの経済的負担の一部を、市の責任で担っていくことを市民の総意で決めようと考えている。
 今月の臨時議会にかけ議決を得しだい支給することとしたい。

 財源は、遺児たちのための義援金の基金口座を作ったので、出来れば世界中からの善意をいただきたいと思っているが、不足する場合は市の一般財源で対応する。
 総額は約2億円。
 もしも、義捐金がこれを突破することがあれば、次には大学進学のための奨学金などに充てていきたい。
 その際は条例を改正することになるが、もうひとつの条件は、孤児らに、将来強く生きていくための学力をつけさせることである。
 相馬市の小・中学校は4月18日に遅れた新学期を迎えたが、心配したとおり被災地の子どもたちは、心の傷が学習の障害になっている。
 我われは、臨床心理士と保健師ら常勤6人体制による「相馬フォロアーチーム」を結成し、教育委員会の別働隊として被災児童生徒のサポート体制を敷いた。
 現段階で2年は継続することとしているが、仮に精神が安定した後もしばらくは、学力向上のためにきめ細かな指導を続けてもらいたいと思っている。
 先日、私のメルマガを読んだというフィンランドと英国のテレビ局が取材に来たので、「貴国の友情をこの子らに!」と呼びかけた。
 ゆえに相馬市のホームページの義援金口座ワッペンは英語バージョンも用意した。
 拙稿の読者諸兄にもご賛同いただけるよう、平身低頭。

【相馬市震災孤児等支援金】  
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/gienkin/tunami_orphan_J.html

 名称:相馬市震災孤児等支援金  
 メールアドレス h-syakai@city.soma.fukushima.jp
 問い合わせ先:社会福祉課(電話0244-37-2171)



 となりの南相馬市では市長の桜井勝延氏(55)が災害の半月後にYoutubeに市長のSOSメッセージを載せている。

2001年3月26日
SOS from Mayor of Minami Soma City, next to the crippled Fukushima nuclear power plant, Japan
http://www.youtube.com/watch?v=70ZHQ--cK40&feature=player_embedded

 ご存じの方も多いが、これが全世界に発信されて、米誌タイムでは4月21日、「世界で最も影響力のある100人」の2011年版に選ばれている。
 現在の再生回数は44万回ほどになっている。


 福島は原発の被害を最も受けているところである。
 放射能の影響があちこちに出ている。
 大災害以降、県民は減り続けて200万人を切り始めたという。
 今、日本の中でもっとも未来の暗い県民といえば福島になる。
 苦難はこれから長い間続くであろう。

 それが故の反発であろうか、「相馬魂」というか、ひたむきというか。
 速報のメッセージを載せる。


相馬市公式ページ メールマガジンNo.253(2011年6月6日号)
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/melma/20110606_melma.html

被災した子どもたちの将来のために

 お陰さまで、震災孤児・遺児らへの支援金が日本中・世界中から寄せられるようになった。
 中には私が直接お話しをさせてもらって意気に感じていただき、お帰りになってから広く募金運動をしてくださった方もいる。
 また少額ながらも、気持ちですと伝えて来られた方もいる。
 出来るだけ御礼状をと考えているので、口座に送金いただいた場合はメールでお名前とご住所のご連絡をいただきたい。
 もうひとつは、子どもたちが成長した時まで私が生きていたら、お世話になった方々の名簿を一冊の本にして彼らの旅立ちへの花向けにしたいから。

 この震災の復旧・復興作業の指揮を執り続けてきた中で、私自身、大きな勉強をさせてもらった。
 瞼に浮かぶ原釜の、生まれ育った家の周りの温かい光景が、すでに消えてなくなっていることを、現地が変わり果てているぶん納得できず、3か月も経とうとするのに、私は現実を心から受け入れることが出来ないのだ。
 しかし、被災して人生が築き上げてきた全てを失った方々を前に、悲しみや感傷に浸っている余裕など無いから、気持ちに流されないで公務しなければならないことや、冷静に先々の展開を読んで早め早めの手を打っておくことを学習した。
 何より仕事をしている時が一番落ち着くことも分かったし、本当に苦しい時に支援を受ける有り難さも知った。
 こんなにお世話になるほど、私は他人に頭を下げて来なかったから、これからの人生でその分の埋め合わせをしなければと思っている。

 私が本心では、今回の震災の甚大な被害を受け止め切れていないように、悪魔のような津波に追われた子どもたちも、恐怖体験から抜け出せないでいる。
 加えて家族や友達を亡くした虚脱感が、本来あかるく多感であるべき子どもたちの感性をむしばんでいるのだ。
 学校が再開した4月18日以降、対策会議のたびに教育長から被災小中学校の様子を報告してもらっているが、PTSDはやはり深刻である。
 対応策として臨床心理士によるケアを考え「相馬フォロアーチーム」を結成し、きめ細やかな心のケアを始めたのが4月の末だったが、開始後からその仕事量の大さへの対応と継続性をどのように確保するかが課題だった。
 対象は幼稚園から高校生までだから、一人ひとりじっくりとケアをして成長の記録をとどめて、さらに最長15年経過を追うとしたら、人材と財源を長期的にマネジメントしなければならない。

 6月2日、この活動を理念と継続性と、透明性をもって着実に行っていく目的で、NPOとしての設立総会を行った。
 理事長には相馬市教育委員の山田耕一郎先生が、副理事長には立教大学教授で「難民を助ける会」理事長の長有紀枝先生が就任された。
 その他、相馬市内の有識者の方々と、福島から近藤菜々子弁護士が理事になられた。
 法人格を持つことによって相馬市としても支援しやすくなるし、寄付も集めやすくなる。
 何より目的と予算執行の間に客観的な検証を加えることが出来る。
 被災した子どもたちへの支援を長期間しっかりと継続するとともに、彼らの成長過程でアドバイザーになってもらえればとも考えている。

 ところで、このNPO活動は孤児・遺児への支援制度と表裏一体である。
 子どもたちを残して死んでいった親たちの無念に応えるためには、金銭的な支援だけでは足りないと思うので、高校卒業後の高等教育の奨学金の分もと思って世界中に支援を呼び掛けているが、忘れていけないことは、豊かな心と学力が充分に身につくようサポートすることである。
 よって、いずれ体制が整い次第、NPO活動のメニューに学力向上部門を加えてもらおうと考えている。
 そして孤児・遺児だけではなく、被災した相馬市のすべての子どもたちに、支援していただく方々の善意が着実に行きわたり、最も有効に活かされるよう、一同、知恵を絞り努力を傾注していきたい。



 東京には分厚いバカの壁がある。
 「天罰だ」と言ったバカがいた。
 バカに未来はない。
 いい年をした老人がしゃしゃり出て、バカよばわりされるようでは日本の未来はちょっとおぼつかない。
 生きている人のために、相馬魂に光明の一つを求めてもいい。

 いまのところ、東京には明日へ向かう一歩のステップは何も見当たらない。
 すべて現状維持の、既得権保身のみ。
 せいぜいのところウカレ騒ぎを発展としか理解出来ないオリンピックへの執着だけ。
 あらゆる思考がスライム化している。
 液状化精神City。
 沈みゆく東京。
 東京泥地。
 救いの足場が見いだせない都市。
 明日の日本は、東京以外の場所からのスピリットで形作られていくだろう。

 「相馬魂」、この存在は小粒だがピリリと光っている。 
  
 「FUKUSHIMA
 日本の不運のすべてが集約されている地と言っていい。
 明治維新期の屈辱に虐げられた歴史を持つ地。
 そして歴史は再び苦闘をFUKUSHIMAに背負わせようとしている。

 「相馬魂」、未来への気骨。
 ここから投げかけられる一石が明日を切り開く刃になるかもしれない。
 「FUKUSHIMA」が発するメッセージはスライム日本では薄散する。
 しかし、世界はその一挙を注視している。
 「FUKUSHIMA」は世界とつながる道を選択することになるだろう。
 「FUKUSHIMA」と「SOMA」はすでに世界用語にもなっている。 



インターナショナル・ビジネスタイム 2011年9月3日 06時54分 更新

野田新首相、原発を徐々に廃止、「脱原発依存」へ

 野田新首相は正式就任後初の記者会見で、原子力発電所を徐々に廃止していく方針を掲げた。
 野田首相は原発を
 「新たに作るということは、現実的に困難だと思う」
と述べ、
 各原子炉の寿命が来たら「廃炉にしていきたい」
と語った。
 一方、当面のエネルギー需給問題を解決するため、原発への依存度をすぐにゼロにすることは不可能だと述べ、ストレステストなどを経て安全性を確認した原発については、地元の理解を得た上で、再稼動することも必要だとした。



2011年9月9日 テンニュース
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asahi.com 2011年9月9日14時8分
http://www.asahi.com/politics/update/0909/TKY201109090226.html

 鉢呂吉雄経済産業相は9日の閣議後会見で、前日に野田佳彦首相らと視察に訪れた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について、
 「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」
と述べた。

 経産相は野田首相の発言を引用し
 「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」
とも述べたが、いまだ多くの人々が放射性物質がもたらす健康への被害を懸念し、住み慣れたふるさとをはなれざるをえない状況のなか、原発事故の被災地を「死の街」と表現したことは今後問題になる可能性がある。


 事実は事実だ
 言葉尻を押さえて、天下を獲ったように喜ぶマスコミ。
 マスコミという名のバカの壁。
 「死の町」を再び作らないようにするのが肝心なことだ。
 その死の町をよみがえらせるのが政治の役目だ。
 それに少しでも勇気を与えるのが、メデイアの役目というものだ。



ANNニュース
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毎日新聞 2011年9月16日 東京朝刊

東日本大震災:福島第1原発事故 第2原発、廃炉不可避

 ◇「地元理解得られぬ」

 枝野幸男経済産業相は15日、毎日新聞などとのインタビューで、東京電力福島第1原発事故に関連し、福島第2原発についても「(再稼働に)地元の理解が得られる状況とは誰も思わない」と述べ、廃炉は不可避との認識を明らかにした。
 福島第1原発については深刻な事故を起こした1~4号機に加え、5、6号機も廃炉にせざるを得ないとの考えを示した。

 東電はこれまでに福島第1原発1~4号機を廃炉にすると表明しているが、5、6号機と第2原発の1~4号機については言及していない。

 また、枝野経産相は立地自治体から安全性への不安が出ている老朽化した原発への対応については「原子力政策の見直しのプロセスの中で、なんらかの基準を考えていく必要がある」と指摘。
 専門的な見地や国民の受け止めを踏まえ、建設から一定期間がたった原発については安全性の観点から廃炉にする基準作りに乗り出す考えを示した。
 また、福島原発事故を受けて出ている原発の国有化論に対しては
 「エネルギー政策の抜本的見直しの中で、議論の俎上(そじょう)に載るテーマなのは間違いないが、軽々に結論を出せる話ではない」
と述べるにとどめた。



TBSニュース 2001年9月30日
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