2011年5月1日日曜日

マスコミは「東電タタキ」に精を出すが、原発推進派でもある

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● 台湾の反原発でも ANNニュースより



 日本のマスメデイアは見ているとわかるが
 「原発推進派」である
 決して「反原発」「脱原発」ではない。
 とはいえ、積極的に原発推進の言を述べるわけにもゆかず、あくまで中立といった姿勢をとるが、どうも良心が痛むらしい。
 そこで出てくるのが「東電タタキ」。
 東電をたたくことによって良心の咎をふさごうとしているようだ。
 なぜ、マスコミが「原発推進派」なのかは、いろいろと裏の記事が流れているようなのでそちらに任せることにする。

 
 ところで、台湾では大規模な反原発デモが行われた。


テレビ朝日 2011/05/01
http://www.youtube.com/watch?v=YUgKBiCwvQ4

【原発】福島住民も参加 台湾4都市で反原発デモ(11/05/01)




 一方、日本で行われた反原発デモについては、マスコミ各社は無視
 立場上、そうせざるをえない。
 よって、どちらかというとどうでもいい俗物的メデイアからニュースを拾うことになった。


日刊サイゾー  2011.04.12 火
http://www.cyzo.com/2011/04/15000410.html

1万5,000人が集まった「4.10高円寺反原発デモ」

 去る4月10日の日曜日、東京・高円寺で東日本大震災によって起きた福島の原発事故に対して、反原発をアピールするデモが実施された。
 呼びかけは、高円寺でリサイクルショップなどを経営する「素人の乱」。



 デモ隊出発予定は15時だったが、デモのスタート地点となった高円寺中央公園には、その1時間半以上前から参加希望者などが続々と集まり、14時前にはすでに公園内に入れないほどの混雑を見せた。
 警官隊が見守る中、路上パフォーマンスなども盛んに行われ、いつもは静かな公園も異様なほどに盛り上がっていた。

 その後、デモは定刻の15時にスタート。
 チンドン屋やクラウンなどのパフォーマンスや、バンドを乗せた車両によるサウンドデモなどのほか、労組関係に市民団体、学生有志や宗教家、さらに活動家とおぼしき一群など、実に多彩な参加者が集まった。

 デモは決められたコースを行進。
 先頭が出発した後も次々に参加者が増え、デモ隊の列は延びる一方だった。
 デモ解散地点のJR高円寺駅北口にすべてのデモ隊が到着し終えたのは、予定から3時間も過ぎた19時ごろ。すでに辺りは暗くなっていた。



 デモ参加者数は、当初は主催者発表で7,000人となっていたが、その後2度にわたって訂正され、最終的には1万5,000人と発表された。
 実際にデモを見た一人として、この数字は信用性が高いと考えられる。


 この参加者の数が変わっていくのが面白い。
 始めの発表では7,000人、そして最後は1万5千人。
 内輪に見積もっても、一万人は参加したのだろうと推測してしまう
 1万人も参加したら、くだらないものであってもニュース化しないといけないのだが、マスコミは逃げてしまった。
 まして、えらく変わったデモのようで、普段ならマスコミが飛びつきたくなるようなシロモノであったらしい。
 だが、マスコミは知らぬ顔を決め込んでしまったようである。

 台湾のデモも1万5千人とある。
 国内のデモは無視、海外のデモは大仰に取り上げる。
 ということは、やはり、日本のマスコミというのは「反・反原発」というスタンスをもっているようだ。


日刊サイゾー  2011年04月30日11時10分
http://www.cyzo.com/2011/04/post_7196.html

「"お祭り"デモは世界を変えるか?」
活発化する反原発・脱原発運動に見る現代デモ事情

 福島第一原発事故に収束の見通しが立たない中、各地で反原発・脱原発を訴えるデモ運動が活発化している。
 中でも、震災から1カ月後の4月10日に東京・高円寺で行われたデモには約1万5,000人が集まり、Twitterなどネット上で大きな話題を呼んだ。

 だがその一方で、新聞・テレビなどの大手メディアはこのデモを軒並みスルー
 また、一部ネットメディアに報じられたレポートに対しても
 「単なるお祭りでは?」
 「遊んでいるだけにしか見えない」
といった否定的な意見が散見された。

 安保闘争や全共闘の時代には社会現象として一般にも強く訴求した「デモ」という行為は、現代においてどんな意味を持っているのか。
 果たしてデモ行進は、社会を変える求心力たり得るのか
 。『ストリートの思想』(NHK出版)の著者であり、音楽や美術などの現代文化やメディア、社会運動などの研究・批評を行っている東京藝術大学准教授・毛利嘉孝氏に話を聞いた。

――毛利さんも「4.10高円寺デモ」に参加されたそうですが、まずは率直な印象を聞かせてください。

 毛利嘉孝氏(以下、毛利):
  みんな「誰かと話をしたかったんだな」ということをすごく感じましたね。
 3月11日の震災以降、人が集まることが難しくなっていたし、報道を見ていると言論が抑圧されているように感じることもあって
 「このままじゃ日本がダメになるんじゃないか」
という不安を抱えた人たちが集まっていた。
 僕自身も、外に出て誰かと話せるという開放感はありましたね。

――確かに、震災からしばらくは"自粛ムード"もあって、外出を控えていた人が多かったように思います。
 では、そもそものデモの定義とはどんなものなのでしょうか。

 毛利:
  民主主義を支えるひとつの表現形式だと思います。
 民主主義には、直接民主主義と間接民主主義という2つの形式がありますが、選挙で誰かを選んで政治をやらせるという間接民主主義を補完する役割が、デモにはあると思います。
 選挙では4年から6年間の代表を選びますが、その人にすべてを任せているわけではなくて、当然、状況が変われば民意も変わっていく。
 でも、それを示す方法って実はほとんどないんですよね。
 世論調査もありますが、調査機関によっては、どの程度信用できるのか分からない。
 これだけ世の中が複雑化してくると、直接的に何かを表現するような空間が必要で、デモはその場所として機能していると思います。

──一種の抗議運動とは、また別の役割ということでしょうか。

 毛利:
  何かに対しての直接的な"抗議"というよりは、もう少し大きな意味で
 社会を変えていくような機能
だと思います。
 デモって、複雑なことはできなくて、基本的には「戦争反対」とか「原発なくせ」とかシングル・イシュー(一つの問題をめぐる政治運動)にしか対応できないんです。
 でも、これが重要になる瞬間があるんですよ。
 そうした状況では、デモは選挙以外にアクションが起こせる数少ない手段だと思います。

 よく東電の前でデモをやればいいじゃないかという声がありますが、あれは直接的な抗議なんですよね。
 不特定多数の前でやることで、原発問題に興味のない人やあまり否定的ではない人たちに対して何か意見を訴えていく、世論をつくっていくという機能も、デモにはあります。

──高円寺の話に戻りますが、ロックバンドやチンドン屋、パフォーマーの方も数多く参加していて、従来テレビなどで報道されてきた「デモ」とは違ったイメージを受け取った人も多かったようです。

 毛利:
  昔はデモといえば左翼のもので、イデオロギー的な側面が強かった。
 社会党系や共産党系、労組をはじめ組織に属する人たちが中心だったんですよね。
 それが 2003年の反イラク戦争デモくらいから、フリーター層を中心に作家やミュージシャンを巻き込んだ、組織に属さない形の今までとは違ったデモが形成されはじめ、世間の"デモアレルギー"のようなものは比較的少なくなってきていると感じます。

 今回の高円寺に関して言えば、あの街はやっぱりサブカルチャーなんですよね。
 ロックミュージシャンやライブハウス、飲み屋が多いし、ヒッピー文化も残っているから、ああいうデモになったと思うんです。
 高円寺が持つ独特のくさみというのは多くの人に受け入れられないものかもしれないけれど、逆にそこが魅力的だったりする。
 だからこそ1万5,000人もの人が集まったんだと思います。

──そうした雰囲気、「祝祭性」のようなものに対して、切実に原発を停めたいと思っている人や、反でも推進派でもない人の中には違和感を覚えた人も少なくなかったようです。

 毛利:
  確かに、「もっと真面目にやれ」「代替エネルギーをどうするんだ」などの批判もありましたが、今回のデモを主宰した「素人の乱」の松本哉さんはそんなことは考えていない
 彼はただ原発を停めたいだけでデモをやった。
 けれど、生真面目で知識がある人だけのものだった
 政治のすそ野を広げた
ということは、今回の高円寺デモの最大の功績だと思います。
 「素人の乱」がこれまで培ってきたデモのノウハウが生かされたと思いますよ。
 でも、それは生真面目な政治を否定するものでは決してありません。
 それはそういう議論の場所を別に確保していけばいいんじゃないでしょうか。

 海外でも30万人規模のデモになれば、基本的には巨大レイブパーティーみたいなもんですよ。
 やっぱり生真面目な政治に特化しても、それだけでは人は集まらないんです。
 情動だとか楽しさだとか快楽だとかがあって、初めて人は動く。
 だからこそ、今はデモが祝祭的になっていると思うんですよ。

──ドイツでは福島第一原発の事故を受けて、25万人が反原発デモに参加し、実際に原発が一時停止しました。
 日本でもこうした大規模デモが発生する可能性はあるんでしょうか。

毛利:
  反原発に関して言うと、やっぱりまだ多くの人が原発は必要だと思っていると思うんですよね。
 「簡単に停めるって言っても難しい」
というのが大きな意味での国民のコンセンサスでしょう。
 多くの人にとってまだ問題にさえなっていない。
 それがこれまでデモに人が集まってこなかった、ひとつの要因ですよね。
 一種の無力感もあるのではないでしょうか。

──その無力感の正体とは何なのでしょうか。

毛利:
  今までデモで何も変わってこなかったというのが大きいと思います。
 何かを変えた経験もないし、市民革命も一度も起こらなかった国ですから。
 外国からの外圧と上からの改革で乗り切ってきたわけで、こう言うと日本人の国民性という話になってしまいますが。

 でも今回はさすがに
 「福島ちょっとまずいんじゃない?」
いう雰囲気が出てきている。
 だから今後、"統一行動デー"みたいなものはあると思いますよ。
 高円寺や下北沢、芝公園、東電前など分散化して最後にどこかで集まるとか。
 それぞれに1万人が集まれば10万ぐらいになりますからね。
 そこからさらに広がる可能性はあります。
 全然原発問題に関心のない人がそういうデモを見たら、
 「こんなにみんな反対しているのか」
とショックを受けますよね。
 会社や学校では誰も「原発ヤバい」と言っていなくても、週末に街に出たらみんな反対している。そういうアピール力はあると思います。

──デモが国を変えることもあり得そうですか?

毛利:
  一日に10万人集まれば変わってくると思いますよ。
 基本的に政治家にしてもメディアにしても、世間の意見には一定限度を超えるとどこかで従わざるを得ないので。
 今回の原発は停まらないと本当にヤバいけれど、現実的にはすぐに停まるものではない。
 いったん停止した後も15年とか20年かけて徐々に処理するしかないものだから、やっぱり反原発というよりは、脱原発というのがコンセンサスになっていくと思います。
 それをどうやって主張するかっていうと、当面デモくらいしかない。
 ネットで呼び掛けて署名を10万集めても、それだけで何も変わらない。
 実際に外に人が出て具体的に姿を見せないと変わらないと思います。
 10万人集まる段階でも、メディアが世論調査をしたら脱原発派は5割を切るかもしれませんが、10万人が街中に集まったときのインパクトはすごい。
 さらに、本格的にミュージシャンなど影響力のある人が入ってくるとだいぶ変わると思いますよ。
 今の時代、1人のカリスマが出てくることは難しいと思いますが、マスにアピールできる人たちが何人か出てくれば。

――今、何かしたいけど何をしたらいいか分からないという人が多くいると思います。
 脱原発デモに参加したいという人が、自分に合ったデモを見つけるにはどうしたらいいのでしょうか?

毛利: 
  ネットで情報を集めることもできるけど、やっぱりこういうのって人間関係なんですよ。
 行ったことがある人に聞くというのが一番ですね。
 明確な意見がなくても、実際に身体を動かして情報収集したり行動することには意味があると思いますよ。
 今はシュプレヒコールとかも無理に声を出さなくても構わないし、気軽に参加してみればいいんじゃないでしょうか。

──気軽に参加してみてもいい。

毛利:
  最初は不真面目でもいいんですよ
 最終的にどこにデモの到達点があるかというと、結局みんな楽しく生きたいわけですよね。
 楽しい世界を獲得したいのに、そのために必要以上に苦労するというのはあり得ないですよ。
 もともとお祭りやカーニバルっていうのは、普段自由に意見を言えないような民衆が爆発するという政治的なものだし、ボトムアップの民主的な政治の現れでもあると思いますよ。
(取材・文=編集部)

●もうり・よしたか
1963 年、長崎県生まれ。京都大学経済学部卒業。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにてPh.D(sociology)を取得。九州大学助教授などを経て、現在東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科准教授。専攻は社会学、文化研究。著書に『文化=政治――グローバリゼーション時代の空間叛乱』(月曜社)、『ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房)、『ストリートの思想』(NHK出版)などがある。


 ということは、城南信用金庫のように、
 一つの金融機関が明確に「原発ノー」と発言した
ということは実に珍しいことのようである
 


『』
中国新聞 2011/05/01
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201105010029.html

チェルノ事故の現状を報告

 チェルノブイリ原発事故で被災したロシアのパベル・ウドビチェンコ氏(59)が30日夜、原発建設に大半の住民が反対する山口県上関町祝島を訪れ、事故25年後の現地の実態を報告した。
 住民たち約100人が聞き入った。

 現場から約180キロで被災し今も放射能汚染地域に住むウドビチェンコ氏は
 「福島の事故を機に、原子力について立ち止まって考えるべきだ」
と訴えた。

 チェルノブイリ事故の影響について、農作物が売れなくなり、甲状腺がんなどの健康被害や産業衰退が続いていると強調。
 「余裕のない低所得者は汚染地域に住み続け、移住した高齢者も健康を害した」
と声を落とした。

 被災地の子どもに対する差別があるとも指摘。
 「フクシマを人ごとと捉えれば、災いは自分たちに降りかかってくる」
と警鐘を鳴らし、祝島住民の反対運動を激励した。


【写真説明】「チェルノブイリとフクシマを教訓に、原子力について全世界が立ち止まって考えるべきだ」と訴えるウドビチェンコ氏





== 東日本大震災 == 



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